はてなカラスオフ行ってきました。

乾杯前にカルピスを飲むのはどこの自分ですかorz

ということではてなカラスオフに行ってきましたorz いや言い訳なんですけど、
オフ会とか飲み会とかはテンパって目の前の飲料を飲みだす悪癖が……o... rz。
乾杯がある席ではホント気をつけないといけないですね。猛省。しかもこのまえの私的な飲み会でもやっちゃったし。グギギギギギスミマセンモウシマセンrz。


さておきオフ会前はid:REVさんに挨拶したり、オフ会会場ではid:junkMAさんに「id:furukatsuさんは渋谷で、『ガメラ3』のメイキングビデオ中にある樋口真嗣が渋谷炎上シーンを見ながら「愚民ども死ね死ね死ねー」と言っているシーンをBGVに街宣活動をするべき!」とかバカなことを言ったり、その後当のid:furukatsuさんにオタクが団結する意味についてありがたい言葉を頂いたり、「うちのオタサークルの住人はエヴァ世代ちょっと後の人たちがメインだから、スレイヤーズじゃなくてFLCLを自尊心の根拠にしているので、屈折とかまったく感じられませんねー。ぱんぴーさんと付き合いながら「俺、結構こうみえてもオタなんだぜ。ガンダムとか詳しいよ」みたいに過ごしてるっぽくて。新海誠が大好きで、新海誠リスペクトだけど新海アニメから童貞のヤバい部分を抜いた、中身があまりなさそうなアニメを作ったり」「でも、それって作るだけ意味あるよねー」「ですよねー、あ、彼はクリエイター版善良な市民さんなんだ!」という話をしたり、id:p_shirokumaさんに去年のクリルタイの同人誌にゲスト原稿書いていただいた件についてお礼を申し上げたりしていました。

ちなみにid:p_shirokumaさんが「集合時には何か目印になるものを」と仰っていたので、久しぶりにブログシューター翔を描いて持っていったりも……。



http://new.ciao.jp/kakunouko/sirokumasan.jpg
文字が無いバージョンはこちら



その後明日に用事がある僕は一次会で退席させていただいて、二次会に行かれる方と別れて現在自室、という訳です。参加された方、お疲れ様でした。id:p_shirokumaさん、本日はどうもありがとうございましたorz




追記:あ、僕の本サイトには上のバナーから飛べます。

3

メタフィクションを求める心理は、「メタフィクションの視点に参加できる」というものに帰結される。
作者と同じ場所・地平で物語を俯瞰できるというのは、人間が持つ「物語に参加したい」という希求を満たす。
故に、物語がメタフィクションという枠から抜け出し一つのフィクションをかなではじめた時、
大勢のひとびとはそこからぼろぼろと脱却していく。


参考:対象を失った愛(2)――想像力のために

2

メタフィクションはパロディにおいて有効な文法である。
しかしそれと同時に、有効であるが故に突出したものがそこから生まれにくい。
何故か。上から見渡している分、「その中」にいる彼らより物事を深く見通してなければならないからだ


メタフィクションはえてしてミイラ取りがミイラになる。
ミイラ取りは「ミイラとは何か」というところから始めなければならないので、
フィクションよりも簡単であってはならないのだ。


ウロボロス - Wikipedia

CinemaScape/Comment: キング・コング

キング・コングが愛される存在であるという認識は、魔術師ウィリス・H・オブライエンが銀幕に創り出したコングがあまりにも生き生きとして素晴らしかったために生まれた錯誤だ。コングを愛したのはオブライエンと観客だけである。アンはコングを愛さなかった。デナムもドリスコルも愛さなかった。クーパーとシュードサックも愛さなかったのだ。要するにオリジナルの『キング・コング』は、極めて現実的な映画だ。現実的な映画だからこそ、コングの最期は観客の胸を打った。言い換えれば、オリジナル『キング・コング』は観客を傷つける映画だ。観客はコングの最期に立ちあい、コングが殺される現実に傷ついた。オリジナル『キング・コング』に流した涙と心の傷はオレの誇りだ。


人ではないものが人の手によって模造されたとき、その人ではないもののどこかに人の心というものが紛れ込む。
そして人は、他者に「自らと同じ共同体にいる者」という幻想を抱いて理解不可能な者とコミュニケーションを図る。
理解しあえるかもしれない。しかしそれは常に模索にしか過ぎない。

キング・コング』が『キング・コング』であるためには、コングなど金儲けの道具だという「文明的」な感覚も絶対に必要なのだ。美女は怪物なんか愛さないという「常識」、暴れだしたら容赦なくブッ殺す「現実」も必要なのだ。我々が生きる現実の世界で勇者と讃えられるのは一等航海士ドリスコルであり、複葉機パイロットたちだ。美女は野蛮なサルに殺されず助かってよかったよかった、めでたしめでたしなのだ。


「結局理解は不可能だった」という現実に立ち会う、ともいえる。